1996年(平成8年)『在宅看護と天井走行器』
1988年(平成10年1月) 『ここは地獄の一丁目』
1998年(平成10年)『三隣亡(さんりんぼう)』
2001年(平成13年6月) 『赤き血潮』
2001年(平成13年9月) 『足の裏』 
2002年(平成14年3月)『☆心の安心 緊急通報システム☆』
1996年(平成8年) 『在宅看護と天井走行器』  
 
 一口に5年と言うには少しわびしい密着介護の月日が流れました。
 そしてこれから先、どれだけという月日の際限はありません。

 私が、天井走行器に興味を持ったのは、1年くらい前より主人の下半身がいよいよ動かなくなり、介助の力の負担に耐えられなくなってきた頃からです。
 介護用品の店や展示会場を見て回り、どれがいいのか、行きつ戻りつ迷いつつ・・・試案を重ねたのは少々工事が大々的なことと金額も張る点もあったためでした。
 本当はどなたか知り合いで、実際に使っている人に見せていただきたかったのですが、まだ設置の数が少ないのと天井走行器を使うような家庭は患者も介護人も心身ともに疲れ果てている場合が多く、その望みは果たせませんでした。
 
 ある日、H病院のリハビリの先生が岡山の会合で新型の天井走行器の説明会があったと言われた一枚のパンフレットを頼りに、業者の言われるままに着工しました。
 マンションという制約の中で高さに問題のある天井走行器は、初めから無理を承知でしたが、3日間で出来るという約束がいつの間にか半年の月日が経ってしまいました。
 満足とも不満足とも半々の出来で、今後設置の方々の参考にしていただきたいと筆をとりました。

 「百聞は一見にしかず」私もできれば先人の使い心地を聞いてから設置したかったと痛感しております。
 今、介護用の新しい器具はいろいろと改良されながら出ております。実際に使ってみて役に立つものの選択は、経験者の話を聞くのが一番と思います。
 天井走行器は一人きりの介護者の一人きりの時の、心の支えになることは間違いありません。
 いかに新しい便利な器具が入っていても、在宅患者とその介護者にとって、信頼できるお医者様の医療の手が一番の強い味方であり、弱ったとき、困ったときの暖かい救いの手を切に祈ってやみません。

  空中を 宇宙遊泳 浴びる風呂
  みぎひだり テンヤワンヤの 初湯かな
  夢もなく 力もなくて 共倒れ


1998年(平成10年1月) 『ここは地獄の一丁目』
中山真理の眉間の縦皺取りの記事が紙面をにぎわしている。
久方振り、しみじみと鏡を覗くと、眉間に深い二本の皺は、年齢と共に、
毎日の介護の苦労を表している。
 薬局を閉めて六年半余り、それは脳梗塞の主人と一対一で向かい合う 日々の歴史でもある。
 主人の実家は雪深い中国山地の谷間の集落で、よく寒い時期、
便所で倒れる人の話を聞いた事がある。

何時もの様に4日ぶりの大便を、何時もの様に車椅子で便所に連れて行って座らせて居る時、
なかなか大便が出ず、かなり長時間きばって居ましたら、ウ、ウ、ウ、・・・といったと思ったら、
両手をいびつに上に挙げ、体を便座の上で左右(後ろは出来ず)に、 ぎくぎく ぐるぐる回し、
顔色は蒼白、瞳は開いているが、一点を見詰めて動いていない。
 これは何時もと違うぞと思い、主人の体に抱きついたが、なかなか止まらない。
どうにか車椅子に乗せ、やっとの思いでベットに連れて帰ったのだが、
またそこで後のめりに成り、手を上げ、体を反らして倒れてしまって,
体がベットの上に半分も掛かっていないので、ずり落ちそうで、
胸から下をベットの上に引き上げるのに、火事場の馬鹿力と、満身の力を込めて
引っ張り上げました。(天井吊りを考える余裕なし) その間 タッタ1〜2分でしょうか。
脈は飛びながら弱 速 手足は冷え切て反応も返事も無い。
カイロを方々に入れて暖めながら、力まない様にと言いながら、腹部をのの字に撫でる。
息をしているのかと案じつつも、それ以上何も出来ず、安静にさすのみ。

 1時間程経って看護婦さんに連絡する。湯で口をしめして少しずつ口に入れる。
気が付けば少しずつ水分を摂取さす様に言われ、1時間後ぐらいに又連絡する様に
言われ只見守るのみ。
 
 便所の中で寒い時 力んで力を使い果たし、急に血圧が下がり、痙攣状態を起こし、
倒れたまま冷えて亡くなる人は、この様な状態かと、断末魔のあがきをまの辺りに
してしまった私。半坪の密室で繰り広げられる地獄絵巻。

 後で本人に尋ねると、何も覚えてないとの事。あれまま放置して置けば、
この世もあの世もあまり遠くは無い。本当に恐ろしい事・・・・
 それにしてもタッタ十秒ほどの舞に、はからずも地獄の一丁目を見た。

追伸 明くる朝、夜も開けきらない五時 お腹をにがらせて、暫くあずった後、
あまり硬くない便を両手の手のひらを小さくした程 出したが一日よう起き無かった。
その明くる日、これまた四時過ぎから腹痛を訴え、8センチの長い浣腸の届かない
腸の奥の方から、直径四〜五センチ長さ二十センチもある?宿便を前後下痢便に
守られ、開通した。
 ほっとして、ヘルパーさんにシャワーを浴びさせて貰い くたくたの眠りに着いて、一件落着。

 追追伸 それから少し忘れかけた二週間程の後 介護者に大変な事が起こった。
風邪気味で始まった症状は歯痛と成り、腰痛となって それこそ地獄の一丁目を
右往左往とさまよい歩いた。

(今振り返れば、それは主人が亡くなる たった十ヵ月前の出来事でした。)
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1998年(平成10年)『三隣亡(さんりんぼう)』  
 
 右足が引きつって、「あっ、痛ててて・・・」とのたうちながら目を覚ました。

 近ごろは、NHKの天気予報より我が家の予報の方が確立が少し上のようだ。
 
 満身創痍の老身にとって、朝起き掛けの腰痛・頭痛・引きつりは、昨日の仕事量とともに今日の天気予報をドンピシャリと当てている。
 
 エンジンの掛からぬままに、一対一のマンパワー介護では贅沢は言ってはいられない。時計とにらめっこで朝の行事にとりかかる。
 まずは自分の顔の洗顔を済ませてから、朝の熱・血圧の測定・顔拭き・着替え・蓄尿の洗浄・ひげ剃り・・・。その間にみそ汁を作り、朝食を準備。
 誰もがしている事を二本の腕をフルに動かして、自分で出来る限り手際よくテキパキ(?)と片付ける。観音様ではないが、「もう一本手が欲しい」なんて欲張りかな...。

 10時、看護婦さんとお手伝いの方の力をお借りして、主人をお風呂に入れ、やれやれと一服。休む間もなく、洗濯に取り掛かり、これは”全自動洗濯機”なので、私の頭の中は「ほかの仕事を・・・」と思いきや、止まった洗濯機の中を見てびっくり!
 私は何を洗ったんだろう???
 ヌルヌル、ベットリ・・・アラアラと満載の袋を取ろう思ったら、洗濯機の前に磁石でくっつけていた洗剤の箱が、逆さまに下にポッチャン。

     ああ〜 信じたくはないけれど
             今日は とんだ 三隣亡


2001年(平成13年6月) 『赤き血潮』 
年齢から言うと、赤き血潮とは、予科練の話となる。
今から50数年前、命惜しまぬ予科練の、七つボタンは桜に錨 !
 終戦で生き残った主人は、73歳の最后の時、一度お断りした輸血で、「眠っていたのに目がさめた。」
と本人がロレツの回らぬ舌で声を出して喜びました。
そして先生に「有難う」と言いました。これが私の聞いたこの世の最后の言葉でした。
それもつかの間、2度、3度の輸血には何の反応も示しませんでした。

最後の頃、肉親の妹が見舞いに訪れたとき、右手は縛られ、動かぬ左手で、挙手の礼をして
別れを惜しみました。勿論 言葉は既に出ませんでしたが、血は水よりも濃いとつくづくと感じました。

    挙手の礼して 別れ逝きぬ 若き日の予科練生

    レビンよりしたたり落つる血の音を 聞きつつ夫のその手を握る

    血の池に したたり落つる鮮血の 音聞きながら まどろみもせず

 月日は流れて、三回忌の丁度前ごろ、疲れからか私は鼻血が止まらなくなり、救急車で病院へ
行きました。2年間流した涙が、鼻からあふれる血潮となり、止まらなくなりました。
するだけの事はしたのだからと、自分に言い聞かせながら・・・・
 それから半年の間、長い長い冬眠に入りました。
そしてやっと目が覚め、主人の為に設置した、天井走行器を未練と迷いの内に、思い切って
取り外しました。

    最後まで 迷いつつ 天井走行器を外す
                  空虚な部屋に老いが追ひ来る

    又一つ想い出 失せし部屋の中
                  白々と広し 心うつろに

 そして70の手習いで、パソコンを始めました。
音声対応のパソコンは、全部が全部 私の言うことを聞いてはくれません。それでも、
挫けることなく、飽くなき挑戦をしたいと思っています。まるで失った10年の歳月を
取り戻す如く。


 (それからまもなく ある日 エレベーターの中で失神して、嘔吐を繰り返し、又救急車に
乗り、長い旅に出る事なぞ、神ならぬ我が身は知る由も無かった。)
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2001年(平成13年9月) 『足の裏』 
足の裏は 人間の顔

あなた お風呂に入って足の裏 洗ってますか?
え・・・・・ 洗ってないって?
顔を洗う積りで、丁寧に 丁寧に洗って下さい。
キットお顔が美しくなりますよ

水虫があるって?  それはあなた 人間失格です。
自分の足の裏を身の内と考えていないのでしょう。
あなたを支えて 一日中走り回っているのは私ですよ。
昔から足を洗うってのは、ヤクザから だけではありません。

人間がその昔 四つん這いで歩いていた頃
あなたの足首 どちら向いてた やってごらん・・・・
やがて進化して 人間は手を自由に使えるようになり、
二本の足で地球に立つ羽目になりました。
その瞬間から体重のすべてを足の裏で支え
            お蔭様で極使される定めになりました。

中風が付いた日 一晩中寝ないで
あなたの足の裏 揉んでくれる 人いますか?
人の温もりで 指の柔らかさで、押してください。
  さ・・・・・   眺めていないで 今すぐ。
きっと助かりますよ。 足の裏は直接脳に続いています。
そして又 地球をその足で歩く日が来るのです。 

但し 断っておきますが、中風がついたその日だけですよ。
     後からでは・・・・          もう遅いのです。
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2002年(平成14年3月) 『☆心の安心 緊急通報システム☆』
ケアーマネージャの勧めで、先日我が家に緊急通報装置が付きました。
 一昨年鼻血が止まらず救急車のお世話になったり、昨年末にはエレベーターの中で嘔吐,
 失神したり、常々独居の不安を感じ、ペンダント型通報装置に関心を持っていた私、
でも詳しいことは何も知りませんでした。
 取り付けに来られた業者の方が、未だあまり知らない人が多いとの事でしたので、
要点を述べてみます。

先ず申請には三人の協力員をお願いし(できるだけ近い人が良い)1,2の方には家のカギを渡します。
家族が遠方の場合には親しい近所の人にお願いします。マンションでは管理人さんの同意が
必要です。 民生委員の方の証明をいただき、主治医の了解を得た書類をケアーマネージャを
通して市の高齢福祉課に申請し、通りましたら業者が設置に来られます。

 電話線に接続、一番優先につながるように、首にかけたペンダントを押すと電話機を通じて
センターに繋がります。そして会話が出来ない状態でしたら、第一協力員につながり、
必要に応じて救急車に連絡も出来ます。

 一つの問題点はベルと電話機接続の距離が、寝室 風呂 トイレまで位で10メートル弱と少し
届く範囲が狭いように思われました。

考えると いよいよ動けなくなって電話もかけられない状態になった時に使うもので、
それでもなお緊急の時には、ベルも押すことも出来ない状態もあるように思われます。
とりあえず心の安定を得ることには大変役立ちました。
 願わくばベルを押す事の無い事を祈ります。

 互いに介護をしている老夫婦、独居老人はこれからは益々増えて行く時代になりました。
誰もが何らかの形でいざと言う時の不安を心に持っている方が多いのではないでしようか?
ご参考に ご一考あれ・・・・

 追伸
費用は収入に応じて、非課税の方は無料です。
尚 月一回管理センターより安否確認の電話があります。

 使用して助かった人、使用に失敗した人、それぞれお話があれば、参考までに承りたいと思います。
電話の向こうに何時も人がいます。相談に乗ってくれる人が居ます。
折角のシステム もっともっと有効に活用したいものです。
 
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